eineblumeのブログ

日々感じたことを記していきます

複数の解き方を考えること

ある国から来た留学生に割合共通する特徴がみられることがあります。一つの問題(たとえば、二次関数の式を決定する問題、定積分でグラフが囲んだ部分の面積を求める問題)に対して、ある場合にはこう考えると計算が楽になると説明しても、その時はうなずくなど反応を見せるのですが、後日、それを使った問題を解かせると、まったくその方法を使わずに、普通のやり方で解こうとして(したがって、計算手間が多い)いることです。
彼らは、日本の学生であれば公式ではなくその場で式を作って解くような問題でも「公式」として覚えているので、決して記憶力が悪いというのではないと思われます。おもりにひもを付けて、ある高さまで持っていった後で、手を離したときに最低点での速さを求めるという問題も、「公式」として覚えていました。力学的エネルギー保存則を使えば、位置エネルギーが運動エネルギーに変わるということを式に表してすぐに解けるので、そんなに「公式」とする必要があるのかなと思いますが、とにかく、解く時間を節約するためなのか、それを「覚えて」いました。
ひょっとしたら、このような「公式」をたくさん覚えなければならないと思っているので、覚えることを減らしたいために、一般的なものを一つ「覚えたら」、ある意味特殊なものは「覚えない」ようにしようとしているのかもしれません。しかし、前述した、二次関数の式を決定する問題にしても、定積分の計算にしても、「理解」すれば「覚える」必要はないと思います。「覚える」から「理解する」に意識を変えることができれば、彼らは飛躍することができると思います。しかしながら、彼らの信念になっているような「思い込み」を変えるのは難しく、今のところ成功していないようです。