eineblumeのブログ

日々感じたことを記していきます

大学入試

高校三年生に数学を教えていましたが、いくつかの大学に合格できたようでした。
合格できたことは喜んでも良い事ですが、自分の力で合格を獲得したというよりは、入試を受けた人たちとの相対的な競争で、比較上位に入れたという印象を強く持っています。

  • 数学を理解していたかどうか:理解が十分ではなかったと自分でも意識していると思います
    1. それは一つには、学校から与えられた参考書や問題集が生徒が到底こなせないような量であったことがあると思います
    2. 自分が理解できなかったことが、十分に認識できなかったのではないかと思われることもあります。数学を勉強しながら、自分の頭や心の状態が、理解した状態なのかどうか、明確に理解できなくなっている(テストによって判定してもらう必要がある)ような気がしました
  • かけた労力に見合った成果か:いくつか受験した大学(数学1A2B)の過去問を見る限り、教科書のレベルの問題を理解して解けていれば十分に合格できそうな程度の点数が取れそうだと思いました。ということは、多くの問題に手を出すよりも、数は少ないかもしれないけれども、一つ一つをしっかり理解しながら進めたほうが、結局は少ない労力で、確かな実力がついたように思えます
  • 高校で何を学んだのか:高校の授業計画(各学年で何をどれだけ学習するか)が大学入試を過度に意識していたような印象を受けました。例えば、その生徒は、1年生で世界史Bの教科書を使っていましたが、週に2時間しか学習時間がなく、結局、2年生から理系コースに入ったので世界史Bの教科書が終わらなかったと言います。中途半端な学びになり、何を高校で学んだのか、自問自答したときに、確かな答えができるでしょうか?

複数の大学・学部に合格したので、その中から自分が最適だと思う所に進学するはずですが、大学では、自分がしっかり理解するということを頭において、勉強や研究を進めてほしいものだと思います。、

久しぶりのパン屋

数年前に行ったきりで、長い間行っていなかったパン屋さんに行ってきました。お店の人とお互い久しぶりですねと言葉を交わし、食パン、フランスパン、リンゴパイを買いました。私はここの食パンが気に入っていまして、以前はよく買いに来ていました。
店を始めて26年だということでした。私がこの店を知った(住宅地の中を道に迷って偶然見つけた)のが1994年のことでしたから、店ができて間もないころに行き始めたことになります。
またいつかパンを買いに行きたいですね。2年ぐらい前にこの店の前を通った時には、「パンが売り切れたので、早めに閉店する」という張り紙があったので、前よりも客が増えたのかなと思っていました。

雑誌の記事

昨日、図書館に行って雑誌を閲覧してきました。キーワードをメモしておきます。

  • コンピュータソフトウェア(38巻1号。2021年1月号)
    • PBL(Project Based Learning)
    • GitHub
  • 人工知能学会誌(36巻1号。2021年1月号)
    • Affective Computing:人間の感情に関するデータを取得し、それに合わせたサービスを提供する
  • 電子情報通信学会誌(104巻2号。2021年2月号)
    • 農園芸分野における情報通信技術(ICT)の導入状況と今後の展望
    • スマート農業におけるセンシング技術

グラフを描くこと

高校3年生に数学を教えていて、グラフを描いてもらった時のことです。
y = 2x のグラフを描くために座標軸を最初に描きました。ところがその座標軸はx軸の方がy軸よりもかなり長くかかれていたのです。y = 2x が傾きが1より大きい(ということは、傾きが急な感じ)ということが頭の中に思い浮かべば、y軸をx軸よりも長くかいた方がいい(少なくともx軸は無駄になる部分が少なくなる)ということが分かるはずだと思うのですが、そうではなかったようでした。ただ、いつものようにx軸をy軸よりも長くかいたというのです。
一次関数の直線のグラフの形を瞬時に想像して、どのような座標平面を準備するのが適切か、考えていないというのは、ちょっとした驚きでした。なぜか、グラフを描くのに非常に長い時間がかかっていて、それにも驚きました。一次関数は直線のグラフであるということを覚えるのではなく、xに値をいくつか代入してみる。そしてグラフの形を想像する。値を取っていなかった部分はどういう形になるか検討する。そして、傾きをいくつか変えた関数のグラフを描いてみて、傾きとグラフの形について、関係を理解していく。という、地味な作業をしてこなかったようです。それよりも、学校から渡された問題集を解いていくのに時間がかかり、それだけで手いっぱいになっていたようでした。
数学は抽象的な学問だと言われているようです。確かに抽象的な部分はあります。しかし、関数のグラフを描くということに関しては、かなり具体的なものなのではないかと思います。関数のグラフの形が想像できた方が、いろいろな問題を考える時に助けになるはずです。
函数の極大値を求めるのに、関数を微分して、導関数の値が正、0、負と変化するところを探すのだと覚えても問題を解けるのでしょうが、それよりも、導関数の値が正、0、負のときはグラフはどのような状態になっているのかを理解し、グラフの形が頭の中で描けた方が、楽に考えられるだろうと思うし、何より、導関数の値の変化と極値の関係を「覚える」必要がなくなると思います。
一般的に言うと、数学で「覚える」というのは、あまり面白くないのではないでしょうか?

高校の理科

最近、『日本の地下で何が起きているのか』(鎌田浩毅)という本を読み終わりました。日本の周囲のプレートの様子、地震、火山の噴火などについて説明してありました。そのような本筋のところではないのですが、「おわりに」というあとがきのところに目が留まりました。
「現在、高校生の大部分は『地学』を学んでいない。…(中略)…地学のリテラシー(読み書き能力)は中学生のレベルで止まったまま、という日本人が激増してしまったのだ」
とありました。我が身を振り返ってみると、当時は、

  1. 文系・理系は2年生の3学期から振り分け
  2. 1年生で地学1、生物1を勉強
  3. 2年生で物理1、化学1を勉強
  4. 2年の3学期から3年生で理系の人は物理2、化学2、生物2、地学2から2科目選択

という風に習っていたと思います。しかも標準単位数が、確か、全て3単位だったと思います。
今はどうでしょうか。

  1. 2年生から文型・理系を振り分ける
  2. 1年生で、基礎XX(XXには、物理、化学、生物、地学)から3科目程度履修(1科目2単位)地学を学ばない人多数
  3. 理系の人は2年生で、XX(XXには、物理、化学、生物、地学)から2科目履修(1科目3単位)

という学習パターンを見かけました。理科系の科目が窮屈になっている感じがします。気になるのは、

  1. 昔はすべての高校生が確かに、物理、化学、生物、地学をすべて少しは学んでいたのに、今は学「べ」なくなっている
  2. 1年生の基礎物理で力学をやるときには、まだ三角比を数学でやっていないのです(数学2)。分力の大きさを三角比を使わずに表現したりするのは大変なのではないかと思いますが、実際どうやっているのでしょう。また、ベクトル(数学B)や微積分(数学2)も習っていません
  3. 1年生で基礎化学を勉強するとき、指数、対数をまだ数学で勉強していません(数学2)。アボガドロ数とか、pHとかは、基礎化学ではやらないのでしょうか

私が高校生の頃、科目間の連携があまり良くないなあと思っていましたが、今はそれよりもさらにひどくなっているのではないかと思います。また、せっかく少し数学をやっていれば、定量的な評価などがやりやすくなり、興味を持てるのではないかと考えるのですが、そうなっていないのではないでしょうか。
私の想像が外れていれば良いのですが、どうなっているのでしょうか。

デマを防ぐには

インターネットは誰もが発信できるいう、それ以前には難しかったことができる点で、素晴らしいメディアだと思います。誰もが発信できるということは、その情報の真偽や、優劣を私たち自身が判断しなければならないということにもなります。アメリカの大統領選挙でもそれが問題になりましたし、日本の前の内閣(今のも?)のやってきたこと、発言したことも問題になりました。
何が事実で、何がそうでないのか、という判断をする力をつけるにはどうすればよいのでしょうか。「インターネットリテラシー」という概念の中に、インターネット上の情報を安易に信用するなということも含まれて入るのでしょうが、それでは、どのようにして、真偽を見分けるようにできるのでしょうか。
素人考えかもしれませんが、歴史や国語の学習が役に立つのではないかと思います。もちろん、数学や物理をはじめとする自然科学も、論理を大事にするという点では役に立ちますが、たとえば、

  • 歴史の本に書かれている事実は、どのようにして認定されてきたのか
  • 文章中で主張されている事には、確かな裏付けがあるのか。その文章の信ぴょう性はどのように評価できるのか

このようなことが、高等学校の日本史、世界史、現代国語などで扱われるようになれば、状況は変わってくるのではないでしょうか。私自身の教育を受けた体験からいえば、

  • 歴史上の事実がどのようにして認定されたのか、知りません。学習した覚えもありません。したがって、ある本に書かれていれば、それが真実だろうと考える恐れがあります
  • 文章の信ぴょう性についても学んだ覚えがありません

さらに言えば、次のような疑問があります。

  • 高等学校の歴史の授業(日本史、世界史)は中学校までの歴史の授業と本質的に違う内容にしなければならないのではないか? 歴史上の事実を習うことよりも、歴史上の事実をどのように認定してきたのか(これからしていくのか)、その方法を体験する時間にしなければならないのではないか? それによって、歴史に関するデマを防ぐためのリテラシーが身につくのではないか? 数学や理科であれば、何が正しいのか、どうやって確かめればよいのかは、不十分かもしれませんが、証明、実験、観察するなどして学びます。ところが、歴史については、どのような方法があるのかすら勉強しなかったと思います
  • 高等学校までの国語(現代国語)で学んだことは、十分に現代を生きる上で有効なのか? 何をどのようにして生きる力に結び付けようとしているのか? 高等学校の現代文の教科書に載っている文章は、通常、私たちが書いたり読んだりする文章と違っていると感じます。本当に高等学校の現代文の教科書に掲載されている文章は、読むに値するような「良い」文章なのか?

私は、高等学校の歴史と現代国語の授業は、役に立たなかったと感じています。これが誤りであることを希望しますが、実際はどうなのでしょうか。

dynalist

dynalistでフォルダーを使う方法がやっとわかりました。検索してすぐわかったので、なぜ今までやらなかったのかと思います。これで、アウトラインの情報(ファイル)をフォルダーで整理できるようになります。
そろそろ有料版と何が違うのか、調べてみたいと思うようになりました。dynalistはアウトライナーとして使いやすいソフトウェアだと思います。Inmosが作っていたOccam のフォールディングエディターを思い出しますね。